三千世界の鴉を殺し、ミラノで朝寝がしてみたかった ー霊でもスリッパでしばかれる?編ー
閑話
高校生の時、ケガの手術でしばらく入院しました。
学校は休み期間では無かったので、見舞いに来てくれる友達も休日が多く、
ほとんどの時間を、相部屋の5人のおっさん達と過ごしました。
20年近くたった今でも、そのおっさん達を覚えている位なので、
いま考えても、ファンキーなおっさん達だったんだと思います。
今回は、そんなおっさん達とのエキサイティングな晩秋の思い出が、
私がファッション業界で働くきっかけとなったという話です。
何回かに分けてこの思い出を書いていこうかと思います。
お暇なときにでも、お付き合いください。
初日から!?出る病院!?
(これは当時のベッドの配置です。おっさん達の名前までは覚えていないので、
適当に特徴を書いておきます。)
手術前々日ぐらいからの入院だった気がします。2週間ほどの入院生活を余儀なくされた私ですが、それまでは外泊禁止的な家訓のもと育ったので、すごく新鮮な気持ちになっていました。注射やホラーが大嫌いで、私には圧倒的不利だと思われる「ボロ病院での入院生活」というロケーションでも、ワクワクの方が勝っていました。
お昼ぐらいから病室に入り、おっさん達に宜しく挨拶をしました。私の横の、頑なに無口を貫く高倉健ばりの哀愁をだすおっさん以外は、若者が入ってきたことが嬉しそうでした。私のベッドが入り口に近いので、通りすがりなどに色々話しかけられて、当時の私も「なんか渋くてみんなかっこいい・・」なんて錯覚していました。まるで国のために名誉ある傷を背負った兵士に見えるフィルターでもかかってました。
就寝の時間になっても、初めての入院・久しぶりの外泊で、もちろん中々寝付けませんでした。深夜になっても寝付けず、明かりが漏れないように布団の中で友達とメールしたりしていると、
「パタ。。パタ。。。パタパタ。」と不規則にパタパタいうスリッパ?みたいな音が聞こえてきました。
普通に歩く音だと、「あぁ、スリッパの音だ」と分かるものですが、歩いているリズムでは無いので、何が起きているか全く分かりません。一箇所でパタパタなり続けたり、少し移動したり、離れて聞こえなくなったと思えば、またパタパタ近づいてきたり。
今の私をもってしても、耐えられる自信がない程の恐怖でした。ただただ怖くて、気のせいか私のベッドの前に現れる頻度も高い気がしました。近くに来ると布団を全力でかぶり、どうにか静まりたまえ・・・ぁぁぁぁあ・・・と念じたりしていると、
「コラァ!!スパーーーーーンっっ」と、怒声と快音が同時に鳴りました。
え、うそぉん。誰かに勢いよく退治されてるやん。。と思い、顔だけどうにか床に近づけ、仕切りの下から廊下を除くと、「その筋の兄さん」が「朝型の巨人」をベッドに連れて行ってる足首だけのやりとりが見えました。
何が起きたかは分かりませんでしたが、スパーーーンという快音がすべての解決を物語っているような気がしました。
翌日、「ちゃんと寝れたかー?」と、ガタイがいい老けたオダギリジョーみたいな「カリスマ」が話しかけてきました。おそるおそる昨晩のことを、できる限り静かな声で実況も交えて話すと、「カリスマ」は笑いながら「その筋の兄さん」のとこに行き、「またやったんすか~」と、よくあるよね程度のサイズで話していました。
「朝型の巨人」はいわゆる夢遊病でした。週一ぐらいで夢遊すると聞きました。
そして発症時間が長引くと、不幸にもスリッパでおもっきりシバかれていました。
「朝型の巨人」は、185cmぐらいの大男で、面長のガッツ石松みたいな顔をしていました。すごく声がでかく、天然というよりは、本当に何も考えてないような人でした。どこが悪くて入院しているか最後まで謎で、誰よりも早く起き、誰よりも早く寝て、日中も診察を受けている様子はありませんでした。すごぶる元気やん。
もしかしたら、おもっきりスリッパでシバかれる事が治療なのでは・・と思ったりしつつ、その後も順調に何度かシバかれていました。
そうして、私の入院生活が始まり、いざ手術前日となりました。。
続きは次回にします。
OMOCHI